今週のお題「初任給」
社会人を35年もやっていますと、会社は何社も経験し、あるいは自分の会社を持って役員報酬という「給料」を取るんですが。
初任給ねえ。
就職したての1990年=35年前、コンピュータメーカーF士通の4月の初任給。
16万6千円。
何に使ったか・・・覚えていないが最初は実家暮らし。多分、ほとんど手をつけなかったと思う。毎日、社食で260円のカレー食ってただけ。
ライバルの外資系■BMの初任給は20万円以上って就職活動の時から知ってたし、N村証券なんて入社直後の6月ボーナスがいきなり「新人なのに」100万円。その気があればソッチに就職できた筈の、時代はバブル絶頂。
大学卒業の頃から、日本は「技術立国」だ、我々ニッポンの命運はハイテク技術にかかってる!金融業にうつつを抜かしてる場合じゃねえんだよ!!
などと勝手に思い込んでいましたが。。。
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それからあっ!という間に9年が経過して1999年、心折れて退職。
退職時の月給は「本給」+「職能給」合わせて32万円ほど。9年働いて給料は約2倍になったが、手取りは毎月80万円に達し、20代で年収1000万円達成。。。というのも会社で5本の指に入ってる超長時間残業労働者として3年間、残業代を稼ぎまくっていた。プロジェクトのピーク時残業はひと月200時間以上、年間通してもひと月残業時間140時間以上。1カ月の労働時間は300時間超え、土日も含む連続出勤記録は最高110日に達して、「あれ、先月も毎日来てた、え先々月も来てない日が無いのか・・」 テストのピークで6連徹とか=日中に仮眠はするが、毎日夜間~朝に流れる1万本ものA-AUTOバッチジョブを監視してるとかそんな時期もあった。バッチジョブがコケだすと数十本、数百本ドミノ倒しで大トラブルの雪崩になる。エラーが出始めるとほんの数人のわがチームが開発チーム、各社を叩き起こして処置させの繰り返し。
ブラック企業と違って労働時間をごまかすことはなく(いやまあ労働環境は完全にオカシイわな)、尊敬する上司も「仕事した時間は全部つけなあかんで」とはいえさすがに「この仕事続けたら死ぬ」と。よく生きて会社を辞めることができた。あの時すでに脳卒中起こしてもおかしくなかったと思うが。
システムが本番を迎え、安定期に入ったとき、迷いはなかった。一人前SEとして育ててくれて有難うさようなら~!と。
こんだけモーレツ社員が働いているのに「業績悪いのは社員が働かないせい」っていう社長発言が何年か後にあって一時期叩かれた会社。ふざけんなボケ、辞めて大正解だったわ、と思った(笑)
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ちょいと脱線。
まだ勤続10年も経ってないと退職金が大したことないのは想像していたが、
会社が卑怯だと怒りを覚えたのは、給料が「本給5万円+職能給11万円+手当」「本給10万円+職能給20万円+手当」という体系にして「本給」x「勤続年数」で退職金を決めている事だった。
これ今となっては外資系■BMのSEや他企業の人々とよく会話するのだが、「え~っそんな退職金あんの?アリ!?」と驚かれる。えっフツーは給料ぜんぶに勤続年数かけてくれるんですか退職金?
新卒・新入社員の皆さんは「初任給」に目がいってしまうと思うが、会社の退職金制度もよく確認しておくことをおススメしときます。ちなみに私がいま経営している零細企業には、退職金なんてものはハナから存在しません。明日を生き延びれるかどうか、それだけの世界。
「なけなしの退職金」で世界一周航空券を買い、残り現金は握りしめ、使い切るまで数カ月間「世界旅行」に出たのでした、それが32歳のとき、1999年。
1999年といえば7の月「ノストラダムスの大予言」地球滅亡のはずが・・・ふざけんな何も起きないじゃないかバカヤロー!と。おフランスのノートルダム大聖堂を見ながら思って。。。
仕方ないので、1999年9月から、 私は次の会社で働き始めました。転職後の初任給は、前の会社より少し安い30万円くらい、残業はなくて・・・いや~住民税大変だった(ハズ)
~続きます。